トリック豆知識なページ。

ここでは『TRICK』シリーズを鑑賞するうえで
知っておくと役に立つ豆知識をご紹介します。
全てのネタが「TRICK」と直接関係あるわけではありませんが
今後、劇中に登場するワケの分からんセリフや意味不明な小物の
謎を解き明かすうえで役に立つかもしれない知識をチョイスしました。

TRICKに関わる豆知識あれこれ

『秋元 康 (あきもと やすし)』

作詞家としては「川の流れのように」「なんてったってアイドル」等の代表作を持ち
『おニャン子クラブ』においては作詞から販売戦略の立案までをトータルに手がけ
CMプランナーとしても活躍。『セガ・DreamCast』の発売キャンペーンCMでは
低予算を逆手にとって、実在のセガ社員・湯川専務(当時)を主役に抜擢するという
意表をついた展開で話題を呼び”低予算で最大限の宣伝効果を挙げる。”という
模範的な回答を提示。CMの世界でも、その卓越した企画力を見せ付けた。

放送作家としては、初期「とんねるず」のコント台本からコンセプト作りまでを担当し
彼らのブレイクに寄与した人物で、快楽原則に従った”大衆の欲求”を知り尽くした
プロデュース手腕から1980年代バブル景気に沸いた芸能・広告界を象徴する業界人。

60〜70年代のテレビ番組制作では制作のキーマンとなる放送作家やプロデューサー
演出家、出演者などのアイデアやセンスやヒラメキなどによって番組の出来は左右され
”面白い作品を作れば視聴者は自然とついて来る。”という制作主導の発想だったが

秋元氏の場合は、まずコアターゲットの嗜好の分析によって隙間ニーズを掘り起こし
番組の中にメディアに取り上げられやすい仕掛けをする事で、メディアに露出する
絶対量を増やして社会現象に発展させる。というメディアと市場の関係の裏をついた
広告代理店的な戦略重視の発想で”商品としての人気番組”作りの手法を確立した。

作品のクオリティやメッセージ性より、ファッション性やイメージを重視した番組作りは
テレビ、映画界に影響を与え、80年代後半は秋元康と「私をスキーに連れてって」の
馬場康夫(ホイチョイプロ)とフジテレビの時代だった。と言っても差し支えないだろう。

”作家性、メッセージ性”よりも”マーケティング、話題性重視”というイメージが強い
秋元康氏とマニア向けの珍味なドラマ「トリック」は、一見なんら関係が無さそうだが
堤監督は秋元氏の設立した製作会社「SOLD OUT」(’90年解散)のメンバーで
『クリスマスキス』『ハンサムマン』等も秋元氏の企画を堤監督が映像化したもの。

「高橋克典with仲間由紀恵」でリリースされたドラマ「FACE〜見知らぬ恋人〜」の
テーマソング『愛してる』(2001年 avex)の作詞を担当されたのも、この方である。

公私共に20年来の付き合いとなるという堤監督と秋元康氏はモノづくりに関して
いろんな部分で触発しあっているらしく、当然ドラマ作りにも影響はあるだろう。

『麻生 学 (あそう まなぶ)』

堤組で、『新生トイレの花子さん』、『ハルモニア〜この愛の涯て』、『ケイゾク』
『僕らの勇気〜未満都市』などの作品にたずさわり、2000年に劇場公開された
映画『千里眼』(原作:松岡圭祐、出演:水野美紀、黒木瞳)では監督を務めた方。

映画『千里眼』は「TRICK」シリーズでもおなじみの鬼頭理三氏が監督補として
木村ひさし氏、丸毛典子氏が助監督、稲垣尚夫氏が美術で参加している作品。

近作には「ケータイ刑事 銭形舞(2003年)」「スカイハイ2(2004年)」「ミステリー
民俗学者 八雲樹(2004年)」などがあるが、これらの作品から堤テイストが
プンプン感じられるのはパクリなどではなく、麻生監督が堤組の生え抜きだから。

『アベちゃんの喜劇』

1998年に集英社から出版された阿部寛さんの自伝的エッセイ集。
当初のタイトルは『アベちゃんの悲劇』だったが、2002年『どんと来い!超常現象』の
発売に合わせて文庫化された時に『アベちゃんの喜劇』というタイトルに改められた。
文庫本の方には仲間由紀恵さんや「TRICK」撮影時のエピソードが追加されている。

「コンプレックスよさらば!」「運動会のヒーローはいたずらっ子」等の各章の見出しは
上田次郎の『どん超』のオリジナル版ではないかと思うほどのインパクトがあるので
『トリック』、特に上田次郎のファンならば一度は読んでおきたい本である。

『池袋ウェストゲートパーク』

2000年4〜6月期、ちょうど『TRICK』の前クールにTBSで放送されていたドラマ。
主演:長瀬智也、演出:堤幸彦、脚本:宮藤官九郎、製作:オフィスクレッシェンド
プロデュースは美人で名高いTBSの女性プロデューサー:磯山晶氏。
全篇”池袋ロケ”を敢行し、リアルな世界で、ありえない人たちの物語が展開する。

堤監督が作り上げる奇抜なキャラクターと、クドカンの描く本物の若者の言葉が
絶妙に融合し、視聴率以上にDVDやレンタルビデオの回転率で好成績を挙げ
若者向けドラマのあり方の、新しい指標を作り出したと言っても良い作品。

そのアドリブ性の高さは「TRICK」の製作に多大な影響を与えているという。

『稲垣 尚夫 (いながき ひさお)』

『楢山節考』(1983年カンヌ映画祭グランプリ受賞)『居酒屋ゆうれい』(1994年)
『うなぎ』(1997年カンヌ映画祭パルムドール賞受賞)『カンゾー先生』(1998年)
「ISOLA 多重人格少女」『千里眼』『死者の学園祭』(2000年)「狗神」(2001年)
「T.R.Y」(2003年)など、日本を代表する名画の美術を担当する名匠。

堤監督の作品は「さよならニッポン!!」(1995年)『新生トイレの花子さん」(1997年)
「溺れる魚」(2001年)「チャイニーズディナー」(2001年)『トリック劇場版』(2002年)と
半数を超える劇場公開作品で美術を担当され「TRICK」シリーズでも第1作から
全ての作品で美術を担当し、ドラマを彩る大小様々なセットを製作されている。

『犬山イヌコ』

劇団『ナイロン100℃』所属、女優、声優、DJ、ナレーターなどの顔を持つタレントさん。
テレビドラマ「ハンサムマン」(1996年)「maison de neuf」(1997年)「ケイゾク」(1999年)
「プリズンホテル」(1999年)「TRICK2」(2002年)にレギュラー・ゲストとして出演。
映画「溺れる魚」(2001年)「EGG」(2002年)にも出演している堤作品の常連さん。

『伊武 雅刀 (いぶ まさとう)』

1949年3月7日生まれ、東京都出身。本名:室田悟。
高校卒業後、俳優を目指して新劇系の劇団に入団するもシェイクスピアなどの古典を
重視する新劇に馴染めず挫折、その後は、ダラダラと自堕落な生活を送っていたが
1974年、テレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』のデスラー総統役で声優として有名になる。

当時の芸名は伊武雅之(いぶまさゆき)。『宇宙戦艦ヤマト』で、その声の魅力が
世に知れ渡った伊武は1976年4月からラジオ大阪で桑原茂一、小林克也らと共に
伝説の音楽バラエティー番組『スネークマンショー』のパーソナリティを努める。

『宇宙戦艦ヤマト』や『スネークマンショー』で名前が売れても、当時はまだ声と顔が
一致しない事も多かったが、児童虐待反対をテーマにした”サミー・ディヴィスJr”の
「Don't Blame the children」(1967年)に秋元康氏が、子供の嫌な部分を徹底的に
糾弾する歌詞をつけた、ブラックユーモア溢れるカヴァー曲『子供達を責めないで』
(1983年:CBSソニー)を「EVe」名義でリリースし音楽番組を中心に顔を売っていった。

アルバム「mon-ja」のリリース後は、徐々にCMやドラマ界に進出を始め、1986年に
NHK大河ドラマ「いのち」で三田佳子の相手役を好演し俳優としての評価を高めると
翌1987年、S・スピルバーグ監督作『太陽の帝國』で日本軍人ナガタ役に抜擢される。

この映画には他にも軍人役でガッツ石松や山田隆夫も出演していたが、彼らはほぼ
エキストラ扱いで、日本軍人の象徴・ナガタを演じた伊武は別格の扱いであった。

その後は俳優として着実にキャリを積み重ね、朝の連続テレビ小説「ひらり」(1992年)
NHK大河ドラマ「秀吉」(1996年)「女医」(1999年)「白い巨塔」(2003年)などに出演し
個性的なバイプレイヤーとして、今や不動の地位を確立したと言って良い名優。
堤幸彦監督作品は「忌野清志郎アワー 赤い花」(1992年)「ハルモニア」(1998年)
「溺れる魚」(2001年)「TRICK劇場版」(2002年)などに出演している。

『植田 博樹 (うえだ ひろき)』

『真夏のメリークリスマス』(2000年)『first Love』(2002年)『愛なんていらねぇよ夏』
(2002年)『あなたの人生お運びします』(2003年)など、不振を託った作品もあるが
『Beautiful Life』(2000年)『GoodLuck!!』(2003年)など、木村拓哉を起用した作品で
高視聴率を収め”視聴率40%男”の異名を誇るTBSの名物プロデューサー。

1999年1〜3月期に放送された『ケイゾク』で堤幸彦監督と初めてコンビを組み
以降、テレビドラマ『ブラックジャック1〜3』(1999〜2001年)『ハンドク!!!』(2001年)
『愛なんていらねぇよ 夏』(2002年)のほか、映画『ケイゾク/映画』(2000年)
『恋愛寫眞』(2003年)でもプロデューサーとして作品作りに参加している。

植田プロデューサーは1967年生まれとの事で、堤監督より12歳年下なのだが
会社員の枠に収まらない作品に対する情熱と真摯な姿勢などから、堤監督が
年齢差を越えて”戦友”とか”無二の親友”と言って憚らないテレビマンである。

『エリアコードドラマ』

1994年からソニー・アンティノスレコードの主催で製作された地域限定放送ドラマ。
所属アーティストの楽曲のプロモーションと有望な新人の発掘を目的として企画され
日本各地の放送局で、数多くの地域色豊かなドラマが制作・放送された。

堤幸彦監督も1994年〜1996年までの間に名古屋テレビで『やさぐれ天使』(全8話)
『あぶない天使』(全11話)『天使のパドリング』(全7話)『世にも不幸な女達』(全8話)
『あなたに抱かれたい』(全11話)という作品を撮っており、沖縄テレビで制作された
『青い夏』(1994年)は仲間由紀恵さんのテレビ公式デビュー作(当時中学3年生)。

『大木 凡人 (おおき ぼんと)』

『TRICK』第8話『千里眼の男』には『ラドンびっくり人間コンテスト』の司会者で出演。
『TRICK劇場版』では花やしきのマネージャー役で出演されていたタレントさん。
見かけによらず特技は空手で有段者。趣味はテレビゲームとカラオケとのこと。

司会者としてはカラオケ番組「街かどテレビ11:00」(1982年〜91年 TBS)が有名だが
実は『街かどテレビ』には下積み時代の堤監督がディレクターとして参加していた。

『株式会社 オフィス・クレッシェンド』

1994年に設立された制作会社、代表取締役 長坂信人。
『ケイゾク』『池袋ウェストゲートパーク』『TRICK』『演技者』に代表されるドラマから
バラエティ番組、舞台演出、プロモーションビデオ製作なども手がけている会社。

代表を務める長坂氏からして「演技者」(CX)などのプロデュースを手がけており
制作会社と言うよりも”クリエイター集団”という表現で紹介される事も多い。
オフィシャルHPには大根仁監督や堤幸彦監督のコーナーが設置されている。

『鬼束 ちひろ (おにづか ちひろ)』

2000年『TRICK』のテーマソング「月光」でブレイクし、その後も「TRICK2」(流星群)
「木曜ドラマ TRICK」(私とワルツを)と「TRICK」シリーズの主題歌をすべて担当。
元々はミュージックビデオの制作が縁で、主題歌に起用されたというウワサもあったが
堤監督が彼女のPVを制作したのは『溺れる魚』のテーマソング「edge」が初めて。
落ち着いたムードの持ち主だが、実は仲間由紀恵さんより一歳年下。

『学生運動』

1955年生まれの堤幸彦監督の青春は1970年代で、全共闘世代のちょっと後になる。

1948年、国公立大学の授業料値上げと大学理事会法案に反対する運動の流れから
『全日本学生自治総連合』いわゆる『全学連』が組織された事に端を発した学生運動は
1960年代の『日米安保条約反対運動』辺りから全国的に広まり『ベトナム戦争反対運動』
『エンタープライズ寄港反対運動』『成田空港反対闘争』等を経て、大学当局や警察との
対立をさらに深め、火炎瓶やゲバ棒で武装した左翼系学生たちが世を騒がせていた。

しかし、学生運動のシンボル的存在だった『東大安田講堂』が1969年、機動隊によって
制圧されると全国的な学生運動のムーブメントは徐々に沈静化に向かっていった。

このあたりまでが『全共闘世代』とか『団塊の世代』と言われる人達の世代の出来事で
1970年に高校1年生ぐらいだった堤幸彦監督は、60年代に全国的な広がりを見せた
学生運動の中核をなした”団塊の世代”と、1980年代に著書『構造と力』でネオアカを
提唱した浅田彰や、マルクス、レーニンといった単語の代わりに高級ブランドや流行の
最先端スポットを紹介した小説『なんとなくクリスタル』の田中康夫あたりに代表される
”新人類”世代の間の”宙ぶらりんな世代”と言われる、いわゆる『シラケ世代』にあたる。

しかし、学生運動は沈静化しても連合赤軍などの過激派は1970年以降も活動を続け
『よど号ハイジャック事件』(1970年)『あさま山荘事件』(1972年)『ハーグ事件』(1974年)
などの民間人を巻き込んだテロ事件を引き起こしていたため、学生運動の残滓は
当時、思春期だった堤幸彦氏の思想や人格形成にも多大な影響を及ぼしたようで
『堤っ』(角川書店)には、学生時代の堤幸彦氏の学生運動への傾倒が描かれており
鴻上尚之氏との対談では”オルグ”だの”三里塚”だのという単語が飛び交っている。

『僕らの勇気〜未満都市』で描かれる大人と子供の対立は、当時の様子を偲ばせるし
堤幸彦作品で警察組織が”カッコいい物”や”正義の味方”として描かれる事はまず無く
「TRICK」や「IWGP」に登場する警察官たちの滑稽な描写からは、単なるネタと言うより
革命闘士・堤幸彦氏の管理社会や警察組織に対する根深い憎悪がうかがわれる(笑)

そしてそれは警察ドラマ「ケイゾク」でさえ例外ではなく、基本的に堤幸彦監督の作品は
”体制VS反体制”であるとか”組織VS個人”という二元論で展開されるモノがほとんどで
物語は常に、体制や組織や社会からハミ出した人たちの目線から描かれており
これは「IWGP」「ハンドク!!!」「TRICK」「溺れる魚」などでも共通している特徴である。

『金田一少年の事件簿』

もともとは週刊少年マガジンで連載されていた人気”推理ミステリー漫画”だが
1995年4月にNTV系でスペシャルドラマとして放送された『学園七不思議』が
好評を博したのを受けて、同年7〜9月クールから連続ドラマとしてスタート。

第一話「異人館村殺人事件」のトリックが島田荘司の推理小説「占星術殺人事件」の
完全なパクリである事が発覚して訴訟問題に発展したり、原作の方は色々あったが
これも大ヒットとなったため、同年12月に、もう一度2時間スペシャルが制作された。

翌96年7〜9月クールには第2シリーズの放送が開始され大好評のうちに終了。
NTV・土曜9時枠の基礎を築き、堤幸彦監督の演出法を強烈に印象付けた作品。
このドラマの成功が無ければ「ケイゾク」も「TRICK」も生まれていなかっただろう。

タイトルからも分かるとおり、横溝正史的な本格推理小説をベースにしており
因習、猟奇殺人、旧家など「TRICK」でもおなじみのキーワードが良く登場する。
『TRICK』の脚本家:蒔田光治さんと堤幸彦監督の初めて一緒にした仕事でもある。

『宮藤 官九郎 (くどう かんくろう)』

劇団・大人計画所属、愛称”クドカン”。脚本家、放送作家、演出家、俳優として活躍中。
『池袋ウェストゲートパーク』(2000年)『ロケットボーイ』(2001年)の脚本で注目を浴び
映画『GO』(2001年)『ピンポン』(2002年)の脚本も担当、熱狂的なファンを獲得する。

2002年に脚本を手がけた『木更津キャッツアイ』は、平均視聴率がわずか10.08%にも
かかわらず映画化され、さらに興業的成功を収めるという常識を覆す成果を残した。

『ケイゾク』

1999年1〜3月クールにTBS・金曜22時枠で放送された連続ドラマ。
クローズアップ、青味がかった映像、手ブレ、広角レンズ、コマ送り、濃い脇役。など
堤幸彦監督のケレン味たっぷりな映像世界の魅力がいかんなく発揮された作品。

独特のスタイリッシュな映像に加えて、主演の中谷美紀と渡部篤郎の軽妙なやり取りや
人間の内面の暗部をえぐるようなエピソードと、回を追う毎に謎めいてくるストーリーが
マニアな視聴者を獲得し、2時間特番『特別篇』(2000年)の放送を経て映画化された。

植田プロデューサーが「金田一〜のようなTBSに無いドラマを作りたい」という意図の下
『金田一』の蒔田氏を通じて堤監督に連絡を取った結果、誕生したのがこの作品だが
当時のTBSではドラマ作りにおける様々な部分で堤監督の要求を満たせない事が多く
植田氏が社内の各部署と掛け合って、問題をひとつひとつクリアにしていった。とか。

いわゆる”堤流演出”の頂点と言って良い作品で、このドラマが保守的なTBS社内で
”あり”になった事が、後の「池袋ウェストゲートパーク」や「木更津キャッツアイ」や
「ハンドク!!!」が誕生するための道を作ったと言っても過言ではないだろう。

『ケラリーノ・サンドロヴィッチ』

劇団「ナイロン100℃」の主催者。演出家、脚本家、劇作家、小説家、俳優、音楽家。

80年代後半にTBSの「イカ天」から巻き起こったバンドブームに先駆ける事数年前。
大手レコード会社の商業主義に乗る事を拒否した、市井のミュージシャンたちが
自主制作レコードを委託や通販で直接ファンに販売するムーブメントがあった。

これを当時まだ若者向けのサブカルチャー雑誌だった「宝島」が後押しした事で
それまでライブハウスでしか聞けなかったバンドの音楽が、一気に全国に広がり
パンク、ニューウェイブ少年・少女の間でインディースバンドブームが巻き起こった。

そのブームの中心にいたバンドが、当時”インディース御三家”と呼ばれ、後に
メジャーレーベルからデビューする、ラフィンノーズ、ウィラード、有頂天であった。
そして、その「有頂天」のボーカルとインディースレコード会社「ナゴム・レコード」の
社長を兼任していたのが”ケラ(KERA)”こと、ケラリーノ・サンドロヴィッチさんである。

バンド「有頂天」は音楽性だけでなく演出にこだわったステージで人気を博していたが
自主制作レコードの制作を個々のバンド単位ではなく、オリジナルレーベルを設立し
自由に制作できる環境を整える事から始めたあたりも、当時から異彩を放っていた。

当時のナゴム・レコードには有頂天を初めとして、後にメジャーレーベルに移籍して
音楽シーンをリードした「筋肉少女帯」(大槻ケンヂ)「人生」(電気グルーヴ)「たま」や
「ばちかぶり」(田口トモロヲ)などのバンドが所属アーティストとして名を連ねていたが
90年代に入るとほとんどのバンドが解散し、それぞれ新しい道へ向かっていった。

ケラさんも1985年に田口トモロヲ・犬山犬子・みのすけと共に「劇団健康」を旗揚げ。
「有頂天」としての音楽活動と並行して、そのほとんどの作品の作・演出を手がけたが
1992年に「劇団健康」を解散、翌1993年に劇団ユニット「ナイロン100℃」を結成した。
(詳しくは「ナゴムの話」:太田出版を参照)

堤監督とは音楽・演劇両面で親交が深く、ご自身が俳優として「ケイゾク/映画」や
「サイコメトラーEIJI」、「アンラッキーデイズ〜ナツメの妄想」(2004年:CX、演技者)に
出演されているだけでなく、映画「EGG」(2003年)には脚本家として参加、堤監督の
バンド「REVERSIBLE BEAT」のCD「BONZO」や、ライブにもゲストとして参加している。

『小物、小ネタ』

「TRICK」シリーズを語るうえで欠かせない感がある小物と小ネタ。

堤幸彦監督作品の多くを手がける映画美術の匠、稲垣尚史氏が作り出す、必要以上に
手の込んだ細工が施された様々な小道具は、それぞれにネタや意味が込められており
その存在感は、時として役者さんの演技以上に強烈な印象を残す事もある程である。

美術監督の稲垣氏は明らかに画面に映らない部分まで手の込んだセットを作り上げ
それを見た役者や監督は、その過剰なセットに触発されて演技や演出を発展させる。
という相乗効果が、作品世界をより過剰で濃密なものにしていくという話である。

「TRICK」という作品の”アドリブ性”という特徴は、役者さんと監督さんの間だけでなく
こういう部分でもジャムセッション的なやりとりが行われているところにもあるのだろう。

また、堤作品を表現するうえで、枕詞のように使われる”小ネタ”というキーワードは
この稲垣美術監督の作り出す個性的な小道具や、頻繁に飛び出すダジャレのような
”ストーリーの内容とは、ほとんど無関係な小さいギャグ”と解釈すれば良いと思う。

何気ない小物が重要なカギだったりした「ケイゾク」から堤作品を観始めた人の中には
「小ネタにも必ずストーリーに関わるヒントがあるはず!!」とハナから決めて掛かって
渋谷から自由が丘に行くのに、わざわざ五反田に移動してから池上線に乗り換えて
挙句の果てに鎌倉に着いてしまうような事をしている人を見かける事もあるのだが
「木を見て森を見ず」の例えもあるように、あまり小ネタばかりにこだわるのも考え物。

もともとバラエティ番組やミュージックビデオ制作を主な仕事にしていた堤幸彦監督は
ドラマの制作でも絵的なイメージを優先して、人物の位置関係や繋がりを無視したり
いわゆる”ドラマのセオリー”にとらわれない演出をする事がしばしばあるのだが

小ネタだけでなく、画面上に登場する小物にしても、ひとつひとつの大道具・小道具
それ自体の意味よりも、それらが一つの画面に映りこんだ時に画面全体として受ける
イメージを重視した絵作りをしている。と考えた方が混乱が少なくて良いだろう。

『ジャニーズ事務所』

1962年、少年野球チームの監督をしていたジャーニー喜多川氏がミュージカル映画
「ウェストサイド物語」(1961年)に触発された事がきっかけで設立された芸能事務所。
ジャニーズ、フォーリーブス、郷ひろみ、川崎麻世、田原俊彦、近藤真彦、野村義男
シブがき隊、少年隊、男闘呼組、光GENJI、SMAP、TOKIO、Kinki Kids、V6、嵐など
キラ星のごとく輝く男性アイドルを輩出し続ける”少女たちのアイドル夢工場”である(笑)

男性若手俳優でも主役級となると、どうしてもこの事務所のタレントさんが多くなるが
堤幸彦監督の作品は、特にジャニーズ事務所のタレントさんの主演作・出演作が多く

『金田一少年の事件簿』(1995年、1996年:堂本剛)『ハンサムマン』(1996年:長野博)
『サイコメトラーEIJI』(1997年:松岡昌宏)『僕らの勇気〜未満都市〜』(1997年:堂本
光一・堂本剛)『ハルモニア〜この愛の涯て』(1998年:堂本光一)『プリズンホテル』
(1998年:伊ノ原快彦)『俺たちの旅1999』(1999年:森田剛、三宅健、岡田准一)
『池袋ウェストゲートパーク』(2000年:長瀬智也)『ハンドク!!!』(2001年:長瀬智也、
二宮和成)『STAND UP!』(2003年:二宮和成、山下智久)となっており、その他にも
『金田一少年の事件簿』や『池袋ウェストゲートパーク』の2時間スペシャルや映画化
そして映画『ピカ☆ンチ』(2003年:嵐)「ピカ☆☆ンチ」(2004年:嵐)などもある。

また仲間由紀恵さんもジャニーズ事務所のタレントさんとは数多くの共演作があり
『名探偵保健室のオバさん』(1997年:三宅健)「DXD」(1997年:長瀬智也、岡田准一)
『踊る大捜査線〜歳末特別警戒SP』(1997年:稲垣吾郎)『君といた未来のために』
(1999年:堂本剛)『PS.元気です、俊平』(1999年:堂本光一)『マッハブイロクBig大作戦』
(1999年:V6)「ごくせん」(2002年:松本潤)『武蔵』(2003年:松岡昌宏)、となっている。

一方、多作で知られる阿部寛さんもジャニーズ事務所のタレントさんとの共演作は多く
「俺たちの時代」(1989年:田原俊彦)「熱血!新入社員宣言」(1991年:植草克秀)
「大江戸風雲伝」(1994年:近藤真彦)「成田離婚」(1997年:草なぎ剛)「ハッピーマニア」
(1998年:諸星和己)「Vの嵐」(1999年:嵐)「HERO」(2001年:木村拓哉)「Antique−
西洋骨董洋菓子店」(2001年:滝沢秀明)「最後の弁護人」(2003年:今井翼)等がある。

ちなみにジャーニー喜多川氏は人を呼ぶときに「YOU」というのが口癖らしく
上田次郎の「YOU」というインチキ業界人っぽい口癖は、この方が元ネタだろう。

『スネークマンショー』

1976年4月から伊武雅刀、桑原茂一、小林克也の3名がラジオ大阪で放送開始。
翌年からはTBSラジオで「それ行けスネークマンショー」として3年間放送された
シュールなコントと最先端の音楽を融合させた伝説の音楽バラエティー番組の事。

「ジャンキー大山ショー」「これなんですか?」「愛の野球場」など、続々と生み出される
シュールなコントの合間にジャンルを問わず最先端の音楽を紹介する斬新なスタイルで
当時、ラジオを聞いていた音楽好きな若者の心をわし掴みにした番組だった。

彼らのコントがフィーチャーされたY.M.Oのミニアルバム『増殖-Multiplies』(1980年)が
オリコンチャート1位を獲得すると、これをきっかけに彼らの存在を知る若者が急増し
翌1981年には、オリジナルアルバム「スネークマンショー」がリリースされ大ヒットとなる。

同1981年に、リリースされた2ndアルバム『死ぬのは嫌だ、恐い!戦争反対』は
坂本龍一のピアノ演奏による『ジムノペディ』に乗せて展開される、おそらく史上最も
贅沢なコント「愛の匂い」や、高橋幸宏のインスト曲『今日、恋が』が収録されており
他にも、エイドリアン・ブリュー、戸川純などが参加した、贅沢で完成度の高い作品。
「TRICK2」エピソード2の「どうぞ〜?」ネタは、この「戦争反対」に収録されたコント
”愛のチャンピオン号”が元ネタではないか?というウワサがあるほど知名度も高い。

その後、1982年に3rdアルバム『スネークマンショー・海賊盤』、1983年には
『ピテカントロプスの逆襲』やカセットブック『核シェルターブック』をリリース。

「核シェルターブック」は付属の本の物語に合わせた音楽が収録されたカセットが
本とセットで販売された企画モノの商品だったが、物語に隠された暗号を解いて
実際にバリ島に行って、指定の場所に行けば伊武雅刀がバリ島のどこかに隠した
”秘宝”をゲットできる。という音楽とゲームブックが融合した画期的な企画だった。

伊武さんが2004年「とんねるずのみなさんのおかげでした!」の「食わず嫌い王」に
仲間由紀恵さんと出演した時に語っていたバリ島に初めて行った仕事というのは
「核シェルターブック」の制作で、物語のイメージフォトを撮影に行った時の事だろう。

2003年12月18日には1976年〜1980年までに放送されたアルバム、CD未収録の
傑作コントの数々を収録した本「
これなんですか?」が新潮社から発売されており
2004年4月21日には未収録のネタとバラエティに富んだ洋楽曲を収録したアルバム
「スネークマンショー・アンソロジー(仮)」がユニバーサルから発売予定となっている。
個人的には『脅威のおハガキ透視術』が入っているのかどうか気になるところ。

最先端の音楽とシュールなコントの融合という「スネークマンショー」のコンセプトは
堤幸彦監督の趣味嗜好とも一致する部分が多いと思われ、何らかの影響はあるはず。

『竹中 直人 (たけなか なおと)』

1956年3月20日生まれ、神奈川県横浜市出身。
1980年代初頭に俳優:松田優作のモノマネや作家:遠藤周作、松本清張の顔マネや
”笑いながら怒る人”などの、変わったネタを得意とするお笑い芸人として有名になるも
もともと青年座出身の俳優さんで、徐々に活動の舞台をバラエティからドラマへシフト。

「業界くん物語」「テラ戦士ΨBOY」「地球防衛少女イコちゃん」などの出演作品を経て
初監督作品「無能の人」で1991年:ヴェネチア映画祭 国際批評家連盟賞を受賞。
日本アカデミー賞では1991年「無能の人」で主演男優賞と監督賞を受賞、1992年には
「シコふんじゃった。」で助演男優賞、1994年「119」で監督賞と助演男優賞、1995年
「EAST MEETS WEST」で助演男優賞、1996年「Shall We ダンス?」で助演男優賞
1997年「東京日和」で監督賞と主演男優賞、2000年「三文役者」で主演男優賞を受賞。

現在では映画賞のセレモニーには欠かせない、映画界の重鎮となりつつある人だが
一方で「RED SHADOW赤影」「あずみ」「さくや妖怪伝」といったB級感溢れる作品にも
いまだに当たり前のように出演されるフットワークの軽さも特徴のひとつと言える。

バラエティ番組の方法論を知り尽くした映画人という特徴は堤監督と通じるところがあり
「TRICK劇場版」以降もコラボレーションが期待されるクリエイター。

『東放学園』

稲垣尚夫(美術監督)堤幸彦、唐沢悟(カメラマン)らを輩出した放送専門学校。
堤幸彦監督は2000年と2001年にOBとして講演を行った事がある。

『とんねるず』

1982年「お笑いスター誕生」(NTV)でグランプリを獲得した事がきっかけでデビュー。
のちに放送作家:秋元康氏をブレーンに迎え、体育会系の”部室の笑い”を武器にして
ヴィジュアルも重視したお笑い芸人らしからぬイメージ戦略で若者のカリスマになった。

秋元康氏がスタッフとして参加したバラエティ番組「オールナイトフジ」(1983〜1985年)
「夕焼けニャンニャン」(1985〜1987年)「ねるとん紅鯨団」(1987〜1994年)等の司会や
コント番組で高視聴率を獲得し、CDを出せばオリコンチャート1位獲得。と、向かうところ
敵なしの活躍を見せ、バブル景気に沸くニッポンの若者を象徴する存在でもあった。

基本的に「TRICK」そのものとは、まったく関係の無いお笑いタレントさんだが
秋元康氏や古館伊知郎氏とは親交が深く、堤幸彦監督も「コラ〜ッ!とんねるず」や
「とんねるずの子供は寝なさい」というバラエティ番組の演出を手がけている。

『櫨山 裕子 (はぜやま ひろこ)』

日本テレビプロデューサー。堤幸彦監督と蒔田光治氏を引き合わせたのはこの方。
主なプロデュース作品に「金田一少年の事件簿」(1995〜1996年)「銀狼怪奇ファイル」
(1996年)「サイコメトラーEIJI」(1997年)「僕らの勇気〜未満都市」(1997年)
「ハルモニア〜この愛の涯て」(1998年)「リモート」(2002年)などがある。

『走れ公務員!−ポリスウーマン』

1998年10〜12月期にCX系で放送された連続ドラマ。出演:さとう珠緒、奥菜恵ほか。
第5話「アイドル署長VS盗撮マニア」には仲間由紀恵さんがゲスト出演している。

「白百合班」という掃き溜め部署に配属された婦人警官が主人公のコメディだったが
「踊る大捜査線」の後に始まった警察ドラマでありながら、荒唐無稽な設定と安直な
人情劇、笑えないギャグの連発で、全く視聴者の注目を集めることなく打ち切られた。

しかし、翌年1月からTBSで「婦警モノのコメディ」のドラマの企画を進めようとしていた
植田プロデューサーと堤監督は、このドラマが登場したために企画変更を余儀なくされ
結果的に「ケイゾク」の柴田純というキャラクターが誕生する事になったそうな。

『バディもの』

アメリカ映画などによくある、タイプの違う二人組が反発しながら展開していく物語で
「48時間」「マイアミバイス」「セブン」など刑事モノのドラマで好んで使われるスタイル。

堤監督の作品には、このスタイルが多く「金田一少年の事件簿」「サイコメトラーEIJI」
「ケイゾク」「TRICK」などの作品は、基本的に同じタイプに属するドラマと言える。
そのため、堤監督は「TRICK」を制作するに当たって過去の作品と”どのようにして
差別化を図るか?”をアレコレ考えた結果”珍味”というキーワードを思いついたとか。

『バラエティ番組』

”テレビ界のテロリスト”と称され、ドラマ界に偉大?な足跡を残す堤幸彦監督だが
ドラマやミュージックビデオだけでなくバラエティ番組の制作にも数多く携わっており
「ぎんざNOW」「モーニングサラダ」「コラ〜ッ!とんねるず」「街かどテレビ11:00」
「おーわらないと」「クイズ赤恥青恥」「上岡龍太郎のもうダマされないぞ!」などがある。

必要以上に濃いキャラクターの脇役、方言キャラ、ダジャレの応酬、無意味な小物など
普通ドラマを作るうえで不必要とされるものが、てんこ盛りに盛り込まれている堤ドラマ。
人によっては”ドラマの演出ではない”とか”バラエティの方法論”等と言われる事もあり
監督自身も”僕はバラエティ出身ですから”と自ら卑下するように言う事があるそうだが

「モーニングサラダ」が縁で、櫨山裕子Pと「金田一少年の事件簿」で組む事になり
「金田一」が縁で蒔田氏と知り合い、その結果、植田Pと知り合って「ケイゾク」が出来て
さらに「IWGP」や「TRICK」が出来たのだから”人間万事塞翁が馬”と言うヤツだろう。

『ハリー・フーディーニ』

19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍した世界的に有名な天才マジシャン。
「TRICK」第一話の冒頭で紹介された有名なエピソードからも分かるとおり
山田奈緒子のキャラクター造形に、強い影響を与えたであろう人物でもある。

フーディーニを紹介した本は「不可能からの脱出」(松田道弘:王国社)が有名ですが
「栄光なき天才たち−13巻」(森田信吾:集英社)が上手くまとめられていてオススメ。

『古館 伊知郎 (ふるたち いちろう)』

1954年12月7日生まれ、東京都出身。元・テレビ朝日アナウンサー。
テレビ朝日在籍中に「ワールドプロレスリング」での名実況が話題となりフリーに転進。
80年代、空前のF1ブームの最中に「F1グランプリ中継」のメイン司会として抜擢された。
2004年4月からは古巣・テレ朝の報道番組「報道ステーション」メインキャスターに就任。

驚異的な語彙力から紡ぎ出される、繊細かつダイナミックなロマン溢れる実況は
時に一篇の抒情詩のごとき完成度で視聴者の心を強く揺さぶる力を持っており
”言葉の魔術師”とか”即興詩人”等とも評されるアナウンス界の第一人者である。

1995年に行われた「トーキングブルース」というワンマンライブを堤幸彦監督が演出。
またオフィス・クレッシェンドが制作した「クイズ赤恥青恥」(TX)の司会も勤めた方で
オフィス・クレッシェンドや堤監督とはワリとひんぱんに仕事をされているのだが
2002年に自身が司会するトーク番組「おしゃれカンケイ」に仲間由紀恵さんが
出演した時の司会ぶりを見る限り「TRICK」を事前に観ていたとは思えない(笑)

『プロモーションビデオ』

堤幸彦監督の代表的な仕事の一つ。これまでに監督が手がけたアーティストのPVは
鬼束ちひろ、相川七瀬、井上陽水、ECHOS、KICK THE CAN CREW、筋肉少女帯
小泉今日子、柴田恭平、J-FRIENDS、V6、TOKIO、とんねるず、ともさかりえ、etc.
その他にも猿岩石、飯島愛「ないしょでアイアイ」、椎名へきるなどのPVもある。

細かいカット割りやクローズアップ、クレーンを使った移動撮影などの演出法の起源は
プロモーションビデオやミュージックビデオの演出にあると言われる堤幸彦監督だけに
機会があれば、その演出法のルーツを探してみるのも良いかも。

『蒔田 光治 (まきた こうじ)』

1980〜1990年代は「安田光堂」というペンネームで、生瀬勝久氏も在籍していた劇団
「そとばこまち」の座付き作家として活躍し「総理大臣誘拐される」(1991年:TBS)は
当時、TBS入社2年目の植田博樹氏が演出を手がけた作品の脚本を担当したもの。

ドラマ「金田一少年の事件簿」のプロデューサーとして参加して堤幸彦監督と知り合い
以降、TBSの植田博樹プロデューサーやテレビ朝日の桑田潔プロデューサーと
堤幸彦監督のパイプ役として暗躍し「ケイゾク」「トリック」にも脚本・プロデュースで参加。

「金田一少年の事件簿」「サイコメトラーEIJI」「銀狼怪奇ファイル」などの作品だけでなく
「リング〜最終章」(1999年:CX) 「らせん」(1999年:CX)の脚本を手がけている事は
翌年始まった「TRICK」の内容に、少なからず影響を与えたのではないかと思われる。

『見岳 章 (みたけ あきら)』

「金田一少年の事件簿」「ハルモニア〜この愛の涯て」「愛なんていらねぇよ、夏」
「ケイゾク」「溺れる魚」「ケイゾク/映画」などの音楽を担当したミュージシャン。
元・一風堂(すみれSeptemberLoveのオリジナルを唄ったバンド)のメンバーで
秋元康さんが作詞を担当した美空ひばりの「川の流れのように」の作曲者でもある。

『みのすけ』

元・筋肉少女帯メンバーで「劇団健康」創立メンバー。「TRICK劇場版」にも出演。

『宮古島』

沖縄本島から約300km離れた太平洋に浮かぶ珊瑚島。
豊かな自然、のどかな風景、美しい海は人生観が変わるほど素晴らしい光景だという。
ダイビングスポットとしても有名で、沖合いの海底には謎の古代都市遺跡も眠っている。
仲間由紀恵さんのご両親や、奥平紋子さん(記録)のふるさとでもある。

行けと言われてすぐ行ける場所ではないが「さよならニッポン!」「ケイゾク/映画」
「TRICK」を堤幸彦・宮古島三部作として、比較してみるのも良いかも。

『宮崎 駿 (みやざき はやお)』

TVアニメ「ルパン三世」(1971年)「パンダコパンダ」(1972年)「アルプスの少女ハイジ」
(1974年)「母をたずねて三千里」(1976年)「未来少年コナン」(1978年)などの作品を
手がけたあと、劇場作品「ルパン三世・カリオストロの城」(1979年)「風の谷のナウシカ」
(1984年)の制作を指揮してからは、主に劇場公開作品のみを手がけるようになる。

「天空の城ラピュタ」(1986年)を新会社「スタジオジブリ」で制作してからの作品には
「となりのトトロ」(1988年)「魔女の宅急便」(1989年)「紅の豚」(1992年)「平成狸合戦
ぽんぽこ」(1994年)「耳をすませば」(1995年)「もののけ姫」(1997年)などがあるが
2001年に劇場公開された「千と千尋の神隠し」は邦画興業成績歴代一位だけでなく
第75回米国アカデミー賞・アニメーション映画部門でオスカーを受賞している。

「TRICK2」第一話で登場した習字ネタ「なんどめだナウシカ」でおなじみの監督さんで
何回再放送されても安定した高視聴率を稼ぐ宮崎作品は「金曜ロードショー」(NTV)で
”他局のドラマ潰しの秘密兵器”として重宝され、「TRICK」が金曜23時枠だった頃は
言ってみれば天敵のような存在だったが、宮崎駿監督が初めて製作に携わった長編
アニメ映画「太陽の王子 ホルスの大冒険」(1968年:東映)は、東映動画労働組合の
高畑勲、大塚康夫が中心となって、激しい労働紛争を背景にしながら制作した作品で

悪魔グルンワルドの侵略から村を守るために立ち上がった村人の団結や何げない
日常生活。主人公ホルスと悪魔の妹、ヒルダの心理的葛藤などを描いた作品だが
随所に製作者の共産主義的思想が見え隠れする描写があるのも特徴の一つである。

「ホルス」では、まだ新人の美術設計というポジションで参加していた宮崎駿氏だが
後に発表した劇場公開作品「ナウシカ」「ラピュタ」「もののけ姫」あたりの作品には
明確な”文明批判”や”反戦メッセージ”が込められているところから見て、堤監督とも
思想的に根っこの部分では繋がっているところもあるのではないだろうか?

日本だけでなく世界的に有名なアニメ界の巨匠だが、自ら制作を指揮した作品の
主人公が”必ずと言っていいほど年端も行かない少女”なのはどうかと思う。

『リング』

「リング」「らせん」「ループ」の三部作からなる鈴木光司のミステリー小説で
2000年に公開された「リング0−バースディ」は仲間由紀恵さんの初主演映画。

この物語の主人公である山村貞子の母:山村志津子と、養父:伊熊平八郎は
「TRICK」でも紹介された千里眼の女、御船千鶴子と東大助教授、福来友吉を
モデルにしており、母と娘の血の因縁や科学者との対立など、トリックシリーズと
共通する特徴も多く、企画を立ち上げる段階でかなり参考にしていると思われる。

「REVERSIBLE BEAT」

2001年、映画「溺れる魚」の劇中バンドとして結成されたユニット。
メンバーは犬山イヌコ、見岳章、堤幸彦。原宿ASTRO HALLでデビューライブを行い
「溺れる魚」プレミア試写会では映画の出演者も参加してミニライブを披露したりした。
マキシシングルCD「BONZO」には留守番電話の声で仲間由紀恵さんがゲスト出演。

もどる

inserted by FC2 system