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2002/9/9 沖縄タレントアカデミー三人娘
明後日はアメリカ同時多発テロ事件が発生してちょうど1年です。

ボク的には『ウソコイ』放送打ち切りから
ちょうど1年という計算なのですが(笑)

2000年7月から放映されたドラマ「TRICK」で山田奈緒子という
業界関係者ですら度肝を抜かれたという異色の役柄を演じ切り
「リング0」→「TRICK」という主演作が相次いで話題となったため
”ついにゆっきーの時代が!?”と、ファンに期待を抱かせながら

続く「FACE〜見知らぬ恋人」「ウソコイ」が相次いで打ち切り。
と、正直「これで、また4番手女優に逆戻りかぁ・・」とファンを
落胆させながら、翌年1月から放映が開始された「TRICK2」と
「ごくせん」で、ふたたび大方の予想を裏切る大活躍を見せて
世間的にも若手トップ女優の仲間入りをした仲間由紀恵さん。

彼女のデビュー当時から応援しているファンの人にとっては
来ると思えば戻り、ダメかと思ったらまた復活してくる彼女の
動向には本当にやきもきさせられた事と思います。

しかし、ここに一枚の写真があります。

この写真は以前、沖縄のとあるHPにアップされていたものを
無断でパクって来たものですが、この写真に写っているのは
左から亜波根綾乃、島紘子、仲間由紀恵という人たちで
この3人は全員が沖縄タレントアカデミーの出身者です。

『沖縄タレントアカデミー』は1984年に那覇市で設立され
のちに設備を一新し、現在の宜野湾市に移転したそうで
後ろに立っている人が同校の主宰者である小澤公平氏です。

劇作家、小澤不二夫氏(リンゴ追分の作詞家)の長男であり
俳優でもあり、自ら脚本、演出も手掛ける小澤公平氏によって
設立された『沖縄タレントアカデミー』は、地元・沖縄県では
舞台などの活動のみならず、ラジオ、テレビ番組の制作も行い

沖縄の芸能学校としては、映画監督:マキノ省三(故人)の孫
マキノ正幸氏が主宰する、安室奈美恵、SPEEDというスターを
輩出した『沖縄アクターズスクール』に次ぐ存在だそうです。

この写真は3人のデビュー直前に撮影されたものだそうで
デビュー直前の沖縄タレントアカデミー三人娘
というキャプション付きで紹介されていました。

亜波根綾乃、島紘子、仲間由紀恵は入学時期は違うものの
ほぼ同じ時期に、このスクールに在籍し、ほぼ同じ時期に
3人ともプロの歌手・女優としてメジャーデビューを飾っており
現時点でも同アカデミーの出身者の中では出世頭なワケですが
正直言って現段階で亜波根綾乃さん、島紘子さんに関しては
仲間さんほどの成功を収めているとは言いがたい状況です。

では同じような時期に同じスクールから巣立った三人の
歩んできた道のりは、どこで違ってしまったのでしょう?

今日は「沖縄タレントアカデミー三人娘」が歩んだそれぞれの
道のりを検証すると共に、仲間由紀恵というタレントさんが
現在のポジションまで登りつめられた事に、いかに奇跡的な
幸運と運命の巡り合わせが働いていたかを考えてみます。

まず、仲間由紀恵さんが沖縄タレントアカデミーに入学したのは
中学1年の時にテレビで工藤静香さんが歌っているのを見て
『自分もあんなふうに歌ってみたい。』と思ったから。という事に
古い公式のインタビューなどではなっています。

まぁ、動機には少々胡散臭さが漂いますが入学時期については
中学1年の時という事で1992年頃と考えて間違いないようです。

ここで面白いのは彼女が通った『沖縄タレントアカデミー』は
現在は沖縄県宜野湾市・伊佐(米軍、普天間飛行場の近所)に
ありますが当時は、まだ那覇市にあったらしいという事です。

仲間さんの出身中学は神森中学(浦添市内間)という事なので
彼女が、今年4月に『ザ・情報ツウ(NTV)』に出演した時に
「学校が実家のすぐそばにあった」と語っていた事をふまえて
考えると実家は内間・宮城・勢理客のいずれかの町になります。

これらの町は那覇市にほぼ隣接しており、彼女が那覇市の
芸能学校に通う事にしたのはきわめて妥当な選択なのですが
実は、もう一方の芸能学校の雄『沖縄アクターズスクール』も
当時から那覇市に存在していたそうなので(1983年設立)
彼女が『アクターズスクール』の方に通う可能性もあったのです。

さらに現在『沖縄タレントアカデミー』がある宜野湾市・伊佐は
浦添市よりも北谷町に近く、彼女の実家からは遠くなります。
となると、タレントアカデミーの移転があと何年か早かったら
仲間さんは「アクターズスクール」出身だったのかもしれません。

一方、亜波根綾乃さんは1981年1月6日生まれで、仲間さんより
1学年下ですが、沖縄タレントアカデミーのHPには8歳の頃に
彼女が舞台で撮影した写真が残されており、亜波根さんの方が
沖縄タレントアカデミーでは仲間さんより先輩になるようです。

島紘子さんについては誕生日、入学時期などの記録がないので
詳しい事は分かりませんが、前出のHPでは他の2人と同列の
扱いを受けているので、ほぼ同年齢と考えて良いと思われます。

沖縄タレントアカデミーでの実績や内部での序列は別として
データによると最初に頭角を現したのは仲間由紀恵さんで
94年の夏にエリアコードドラマ『青い夏』のオーディションで
グランプリを獲得した事により、同作品のプロデューサーから
プロダクション尾木を紹介され、翌95年3月には単身上京し
東京で高校に通いながら本格的な芸能活動を開始します。

そして、それに続いたのが亜波根綾乃さんでした。
彼女は「ASAYAN コムロギャルソン」で95年に開催された
ボーカルオーディションに14歳で参加し、沖縄・九州地区の
実に1700名の参加者の中から本戦出場権を獲得します。

そして『第1回レコード会社争奪大放出オーディション』では
最年少ながら12社が彼女の獲得に名乗りを上げるという
ダントツの評価を得てパイオニアLCDからデビューが決定。

先に芸能活動を開始した仲間さんがTPD第6期研修生としての
初ステージや、ドラマ「日本一短い母への手紙2」の出演や
音楽番組「TK MUSIC CLAMP」の初出演を果たした頃に
亜波根綾乃さんは、当時「ASAYAN」オーディション史上で
最高の逸材
という評価を受け鮮烈なデビューを飾りました。

そして、仲間さんの歌手デビューから遅れる事わずか4ヶ月。

亜波根さんはチャゲ&飛鳥、長渕剛のプロデュースを手掛けた
山里剛氏のプロデュースのもと、ロンドンでレコーディングした
『大きな風』で1996年10月23日に歌手デビューを果たしました。

亜波根さんのデビュー時には大々的なプロモーションが行われ
彼女の名前を連呼する印象的な1stシングルのスポットCMが
テレビで大量に投下されたため覚えている方も多いと思います。

が、鳴り物入りで発売した1stシングルはオリコン最高順位
29位と奮わず、合計シングル11枚、アルバム5枚をリリース
しましたが思わしい結果が出ず、99年12月22日に発売された
「Best Selection」を最後にCDのリリースは止まっています。

デビュー当時、その実力から将来性を嘱望された彼女が
現在どんな活動を行っているのかは残念ながら分かりません。

そして、残る島紘子さんは95年、秋?に開催された第19回
長崎歌謡祭に沖縄代表として参加し見事グランプリに輝きます。

ちなみに、この長崎歌謡祭の歴代の優勝者には

松本伊代(第5回、TBS推薦)

工藤美奈子(芸名:本田美奈子)(第8回、TBS推薦)

といった面々がならんでいるうえに、仲間由紀恵さんが尊敬する
アーティストとして頻繁に名前を挙げている石嶺聡子さん
第16回大会の優勝者として名を連ねている由緒正しい賞です。

そして、96年12月6日、沖縄タレントアカデミー三人娘の中では
最もデビューが遅くなった島さんは、同年6月21日にPS初の
音楽ソフト「EPS」でデビューした仲間さんを追いかけるように
プレイステーション専用ロールプレイングゲームの主題歌と
キャラクターボイスという異色のデビューを飾る事になります。

『里見の謎』というゲームで。

この『里見の謎』<(株)サンテックジャパン>というゲームが
どんなゲームだったかはゲーム好きの方ならご存知でしょうが

一口に言ってクソゲーです。

どの程度のクソゲーかというとあまりの出来の酷さに
カルトなマニアが登場するほどの超クソゲーで

ゲームの詳細についてはこちらこちらのHPをご覧下さい。

ユーザーの評価を見てみると、ほとんどの『里見』ファンHPで
島紘子さんの歌だけはまともに評価されているという有様で
このゲームでその歌唱力をムダに消費した島紘子さんは
『10101ウィル』<(株)サンテックジャパン>というゲームにも
主題歌で駆り出され、またもやムダに歌唱力を消費します。

(詳細はこちらこちらを参照。)

さて、ここまで読んだ方はすでにお気づきかもしれませんが
島紘子さんが出演したゲームソフト『里見の謎』『10101』は
いずれも(株)サンテックジャパンという会社の製品です。

実は(株)サンテックジャパンの社長の名前は小澤夢生といい
沖縄タレントアカデミーの校長・小澤公平氏の実弟だそうです。

小澤校長は一族を挙げて島紘子さんを
売り出そうという野望を描いていたワケです。

が、デビュー作で味噌を付けられた島紘子さんは当然ながら
歌謡界のメインストリームに現れることなく沖縄に戻ります。
しかし、99年4月に沖縄タレントアカデミーのプロデュースで
「SYRUP(シロップ)」という4人組のボーカルグループを結成し
「FLOWERS」というシングル(沖縄限定発売)で再デビュー!!

・・・・以降の活動は情報がないので分かりません。

同じ時期に同じスクールでレッスンを受け、時にライバルとして
時に親友として切磋琢磨しながら、その将来性を嘱望されて
見事デビューを飾った沖縄タレントアカデミー三人娘たちですが
それぞれの歩んだ道のりは全く違ったものになっています。

タレントを夢見る少年少女は星の数ですが実際にデビューまで
漕ぎ付ける事が出来るのはほんの一握りの人に過ぎません。

「ASAYAN」のボーカルオーディションで歌唱力を高く評価された
亜波根綾乃さんの実力は言うまでも無く高かったはずですし

由緒ある音楽祭でグランプリを受賞しながら、満足なサポートが
受けられず、チャンスを掴み損ねた感のある島紘子さんも
もしかしたら小澤校長が「沖縄タレントアカデミー三人娘」の中で
島紘子さんの才能に最も期待を寄せ、彼女だけは自らの手で
スターダムに押し上げたいと夢を描いたからこそ、彼女だけは
自らの手でプロデュースを手掛けていたのかもしれません。

亜波根さんや島さんの実力が仲間さんより劣っていたから
彼女たちは売れなかった。というワケでは決してないハズです。

こちらは沖縄タレントアカデミーでヴォイストレーナーをしていた
Kiyomiという方のHPですが、指導した主な生徒の紹介文の中に

「ASAYAN」でお馴染みになった亜波根綾乃

’96長崎歌謡祭で大賞の島紘子

美少女系アイドルの仲間由紀恵

という記述があり、実は同じように歌手としてデビューした
沖縄タレントアカデミー三人娘の中でも仲間由紀恵さんは
歌手としてはその将来性に最も期待されていなかった事
この記述を見ても分かるような気がします。

おそらく、三人娘の中でイチバン顔が可愛い。というのが
当時の仲間さんの唯一の武器だったんじゃないでしょうか?

「ASAYAN コムロギャルソンのボーカルオーディションで
その歌唱力と将来性からレコード会社12社が獲得に乗り出す
という、これ以上ないのセンセーショナルなデビューを飾りながら

なぜか小室哲哉氏のプロデュースを
受ける事なくデビューした亜波根綾乃さん

もし、小室哲哉プロデュースでデビューしていたら
今頃、どうなっていたでしょうか?

由緒ある音楽祭でグランプリを受賞しながらゲーム史に残る
クソゲーの歌姫
という不名誉な経歴を残した島紘子さんですが

もし彼女が仲間さんのように普通の事務所で
歌手デビューしていたらどうだったでしょう?

歴史に「タラ」「レバ」はないというのは歴史学者の定説ですが
仲間さんが現在「若手トップ女優」のポジションに到達した事が
彼女や所属事務所の努力や実力によるものだけではないのは
これらのデータを見ても明らかではないかと思います。

もし彼女が『沖縄アクターズスクール』に入学していたら?

もし『青い夏』のオーディションに参加していなかったら?

もし「プロダクション尾木」を紹介されていなかったら?

もし「ラブ&ポップ」のオーディションを受けていなかったら?

もし「リング0」のオーディションを受けていなかったら?

もし仲間由紀恵が堤幸彦監督と出会っていなかったら?

もし「ごくせん」のオファーを受けていなかったら?

いずれにしても現在の仲間由紀恵は無かったと思います。
そして、これらの出会いは『縁』とか『運』とか呼ばれている
『運命的な巡り合わせ』によるものとしかボクには思えません。

そして実力に加えて、このような『運』を持っている人が
星の数ほどいる芸能人の中でも、ほんの一握りしかいない
『スター』と呼ばれる存在になるのではないかと思います。

しゃかりきになってスターを目指して頑張ってきたワケでもなく
ゆっくり、マイペースで目の前の仕事を一つ一つこなして来たら
「いつの間にかこんなところまで来てしまった。」という感じが
彼女からは漂っていますが、本当のスターになる人というのは
案外そういうものなのかもしれません。

だから『ナイトホスピタル〜病気は眠らない』や『武蔵』が

たとえズッコケたとしても
仲間由紀恵は大丈夫。

ではないかと、思ったりしています(笑)


2002/9/11 沖縄タレントアカデミー三人娘・補足
【来週の「私立探偵 濱マイク」は要チェック!】

NTV系『私立探偵 濱マイク』が来週で最終回を迎えるそうなので
来週の『濱マイク』の番組終了後には確実に『ナイトホスピタル』の
PRスポットが入る筈です。忘れずに録画セットしておきましょう。

【ナイトホスピタルは打ち切りの心配なし?】

『電波少年』の土屋Pのキモイリでスタートしたという『濱マイク』が
『天国への階段』に続いて視聴率的に苦戦しているそうですが
同程度の視聴率だった『ギンザの恋』のように打ち切られる事もなく
予定通りのスケジュールを消化する事になりそうです。

実は10/14から始まる『ナイトホスピタル』も「よほどの事がない限り
打ち切りはないだろう。」という話を、つい最近、人づてに聞きまして。

なんでかと思って聞いてみたら『ナイトホスピタル』が
日本テレビでなくYTVの制作である事が重要なんだそうです。

関東圏の方ならご存知でしょうが『テレビおじゃマンボウ』なんか見ると
やたらと『視聴率三冠王!!』と自画自賛をしているのを目にします。

で「視聴率4パーセント台のドラマなんかも放送してるのに
なんで三冠王?」と、不思議に思われた事もあると思います。

で、聞いてみたら、この『視聴率三冠王』の視聴率の中には
NTVで制作した番組しか入ってないらしいんですよ。

ですから時期的な問題もあるでしょうが「FACE(NTV制作)」が
最低8,6パーセント程度の視聴率で放映を打ち切られたのも

視聴率三冠王を維持するための
日テレのただならぬ執念によるもの。

という側面があるようなんですね。

だからYTV制作の『ナイトホスピタル』はよほどの事がない限り
たぶん打ち切りになる事はないだろう。って事らしいんですよ。
ホントかどうかは知りませんが(笑)

【とりあえず9日の日記の補足です。】

9日の日記では沖縄タレントアカデミー三人娘と呼ばれた三人の中で
あたかも仲間さんが才能・実力が最も劣っていて、その強運だけで
現在の成功を勝ち得た
かのような印象を与える文章になってしまった
部分があり、誤解を招く恐れがあるので、補足させていただきます。

9日の日記にも書きましたが亜波根綾乃さんは、すでに8歳の時に
沖縄タレントアカデミーの主催する舞台で撮影された写真があるので
彼女が幼少の頃から同校で演技や歌のレッスンを受けていた事は
間違いなく、だとすると、亜波根さんが15歳でデビューするまでには
同アカデミーで7年以上の準備期間があった事になります。

島紘子さんに関しては詳しい情報があまりないのでわかりませんが
長崎歌謡祭でグランプリを獲得している実力と先日ご紹介したHP
島紘子さんと一緒に写真に写っている亜波根さんと仲間さんが

ライバル亜波根綾乃” ”親友、仲間由紀恵”

と紹介されているところを見ると、沖縄タレントアカデミー内部では
こんな感じの序列→亜波根≧島≧仲間だったんじゃないかと思われ
さらに小澤校長が自ら2度に渡って彼女の売り出しに乗り出したという
言わば『沖縄タレントアカデミーの秘蔵っ子』的存在だった事を考えると
亜波根さん同様、長期間レッスンを受けていたのだろうと思われます。

で、仲間由紀恵さんはと言いますと、古いインタビューにもあるように
彼女が同校に入学したのは中学1年生の頃(92年)という事ですが
彼女が『青い夏』のオーディションに合格したのは94年の夏の事です。

さらに翌95年3月には上京しているワケですから、長めに見積もっても
彼女が同校に在籍した期間はわずか2年半ほどという事になります。

つまり、彼女が沖縄タレントアカデミーで演技や歌のレッスンを
受けたのは、たった2年ちょっとの期間に過ぎないわけです。

しかもその間、中学校では吹奏楽部でチューバを吹き、琉球舞踊の
新人賞獲得のために熱心に練習をし、さらに珠算の検定を受け・・

というタレント並みのハードな生活を送っていたワケですから
彼女が毎日のように『沖縄タレントアカデミー』にレッスンに通って
『朝から晩までレッスン漬け』
というような状態だったとは考えづらく

どう考えても演技や歌の技術が
充分に身に付いたとは思えません。

たぶん、仲間さん本人は『沖縄タレントアカデミー』には、どちらか
というと『部活感覚』で通っていた。と考える方が妥当な気がしますし
琉球舞踊ほど熱心に歌や演技の勉強に取り組んでいたワケでは
なかったんじゃないかと思うんですよ。

『青い夏』のオーディション自体は沖縄タレントアカデミーの推薦か
何かで受けたんじゃないかという気がしますが、仲間さん本人は
いたって軽い気持ちで受けてみたんじゃないかという気がしますね。

この年の夏は琉球舞踊の大会で新人賞を取る事の方が
仲間さん本人的には重要だったみたいですし(笑)

実際95年のメジャーデビュー以後の仲間さんの演技や歌を見ても
お世辞にも『ズバ抜けて実力がある』とは、とても思えませんし
オーディション当時も技術的には下手な方だったのではないかと。

ただ、その資質にズバ抜けた
魅力があったのではないかと。

沖縄タレントアカデミー入学からデビューまでの短期間ぶりを見ても
当時の仲間さんは、ほとんどまともに歌や演技のレッスンを受けて
いなかったはずなので、言ってみればまだ原石だったワケです。

仲間さんにとって最初の幸運は『その優れた資質を見抜いてくれる
人物と出会うことが出来た』事だと言って良いのではないでしょうか?

デビュー以降は所属事務所も本人も頑張っているワリにパッとしない
仕事ばかりが続いたようですが、逆にその間に演技や歌を実地で
学んで実力を付け、実力が付いた頃にしかるべき大役に抜擢される
という巡り合わせも、彼女にとっては良い方に働いたハズです。

デビュー当時、まだ実力が伴っていない時期に映画やドラマの
主役としてバンバン露出していたら、仲間由紀恵という女優は
今頃、浦添市に帰っているか、Vシネマや仁侠映画で意味もなく
裸を披露するという多くのアイドルと同じ道を辿っていた事でしょう。

事実『TRICK』で共演した阿部寛さんはモデルとして人気絶頂の頃に
ロクに演技の勉強もしていない状態で、映画『はいからさんが通る』の
伊集院少尉という大役に抜擢されたため『モデル上がりの大根役者』
というネガティブなイメージが付いてしまい、その後の阿部寛さんは
そのイメージを払拭するために大変な努力と時間を費やしています。

ちょうど良い時期にちょうど良い仕事の依頼が舞い込んで来た。
という事も仲間由紀恵という人が持っている強運だと思います。

たまに、そうじゃない仕事FACEもあるのは確かですが(笑)

で、この強運が彼女が持って生まれた『運命』によるものなのか?
というと、ボクはそんな単純なものじゃないような気がします。

デビュー前の彼女が優れた資質を備えた原石であった事は
まず間違いなく、『実力は無くても素質はある。』というのが
デビュー当時の仲間由紀恵さんの魅力だったと思われます。

「TRICK」の堤幸彦監督などは『これほどの魅力ある素材をどうして
これまで誰も活かす事が出来なかったのか?』とクリエイター魂を
くすぐられたそうなので『可能性を感じさせる才能』はあったワケです。

また、彼女の『芸能人としての意識』も重要ではないかと思います。

今年の『日刊スポーツ』のインタビューで、ご本人が答えていたように
デビューしたのも彼女的には『東京で一人暮らしが出来る』事の方が
重要だったそうなので『何が何でもスターになりたくて上京した』という
ワケではなく、雑誌「B.L.T」のインタビューでも後からデビューした子が
自分より先にいい役を貰っても『焦ったり妬んだりした事はない。』と
答えているように、役柄で仕事を区別をしたりはしなかったようで

この事からも、彼女が『スター』を目指してなりふりかまわず
突き進んできたワケではない事がよく分かると思います。

仲間さんとは頻繁に共演している俳優の生瀬勝久さんも彼女を評して
『年齢のワリにしっかりしていて、現場でも人の話をよく聞く。』とか
『”私は女優よ!!”というところがまったくない』と語られているように
『プロ意識が非常に高い』という事もまず間違いないと思われます。

要するに、少なくとも彼女自身の意識の中では
仲間由紀恵は『芸能人』をやっているワケではなく
世に数ある職業の中から『女優』という『お仕事』を
選んだだけだと考えている。のではないかと。

だからこそ『番手』がどうだとか『役柄』がどうだとかでゴネたり
手を抜いたりする事もなく、与えられた役柄に取り組めたのだろうと。
そして結果的にそういう姿勢が次の仕事を呼び込んだんじゃないかと。

ご両親から受け継いだ美貌と、故郷、沖縄の風土の中で育まれた
てーげーでのんびりとした性格に加えて、仕事に対して変に欲張らず
真面目に取り組み、人気が出ても奢るところがないという姿勢。

これらの要素がすべて揃ってはじめて、彼女に『チャンス』を
呼び寄せる力となり、彼女は結果を出してそれに応える事で
徐々にステップアップを果たしてきたのではないかと思うのです。

「人間万事塞翁が馬」ということわざがありますが
仲間さんのこれまでの経歴は、それを地で行っている感じで
『後になってみると、結果オーライ』という仕事が数多くあります。

『不幸』を不幸として嘆くのか『不幸』を次のステップの糧にできるのか
それは本人の資質によるところが大きいのではないかと思います。

事実、仲間さんのデビュー以来の道のりは決して平坦なものではなく
その内容についてはお世辞にも全てが恵まれていたとは思えません。

しかし、それを糧にして現在のポジションまで上り詰めて来れたのは
ひとえに彼女の優れた資質と、たゆまぬ努力と、へこたれない性格で
自ら呼び込んだ強運を、確実に活かして来たからではないかと。

仲間由紀恵さんは、デビュー以来のワリと恵まれない時期でも

どんな痛みも ONE MORE CHANCE
それはきっかけにできるから

どんな涙も ONE MORE CHANCE
まだ傷ついてもいいはずよ

どんな悩みも ONE MORE CHANCE
それはきっかけにできるから

【ONE MORE CHANCEより歌詞を抜粋】
アルバム『遠い日のメロディー』、シングル『負けない愛がきっとあるc/w』収録

の精神で前向きに頑張ってきたのではないか?と思うのですよ。


2002/9/13 色々あるサー!!
君を助けに来るヒマなどない
という事を伝えに来たんだよ。

【上田次郎】

「TRICK劇場版」の劇場予告編はご覧になりましたか?
ついにイヨイヨ、って感じになってきましたね!!

その前に『明日があるさTHE MOVIE』なんですけど(笑)

【TV雑誌各誌にナイトホスピタル情報掲載】

10月14日の放映開始まで、まだ1ヶ月近くあるというのに
早くも『ナイトホスピタル〜病気は眠らない』の情報が
テレビ情報誌、各誌に続々と掲載され始めました。

「ごくせん」の時とは大違いです(笑)

とは言っても、まだ人物関係図が公表されたとか
吹越満さんも出演する事が分かったと言う程度ですが

気になるのは、この記述→森沢麻紀(26)。

また年上役かよ!!

まぁ、医大→研修期間を経て、病理医として実績を積んでから
臨床医としてヘッドハントされる。というドラマの流れから見て
実年齢と同程度という事はありえないのは分かっていましたが

いい加減、桜小夜子以外の
女子大生役とか相沢早紀以外の
OL役なんかも見てみたい気がします。

【9月10日 ナイトホスピタル本格的に撮影スタート】

らしいです。(笑) 【江頭美智留さんのHP

【9月後半に備えて】

9月24日からはジョージアの新CM、同じく9月後半からは
auムービー携帯のCMが始まるというウワサでありますが
今週テレビを見ていて気づいた「au」と「ジョージア」のCMが
流れそうな番組をご紹介いたします。

NTV系 水曜22時 『東京庭付き一戸建て』の枠 au(KDDI)

CX系 木曜22時 『恋愛偏差値』の枠 au(KDDI)

ANB系 金曜20時 『Mステーション』 ジョージア、日清

NTV系 金曜21時 『金曜ロードショー』日清、ジョージア、JA

金曜ロードショーでチキンラーメンとジョージアと自動車共済の
CMなんか流れると超ステキ!!なんですけどね(笑)

【ナイスピさんは情報屋さん】

ナイスピさんから掲示板にいただいた情報ですが
9月14日の『チューボーですよ!』(TBS系)に
生瀬勝久さんが出演される予定。という事です。

もしかしたら仲間さんの話が聞けるかも?

【仲間由紀恵は大丈夫?】

先週の「FRIDAY」の表紙の写真を見た多くの方々から

仕事、仕事で休暇を貰ってないんじゃないか?

疲れすぎて、やる気ゼロなんじゃないか?

ついに、ぶっ倒れるんじゃないか?

と、由紀恵タンを心配する声が数多く寄せられています。

が、ワタクシが独自に仕入れた情報によりますと

仲間由紀恵さんは、お盆の頃に
宮古島に遊びに行ってるそうです。

なんでも2〜3日間滞在して、ダイビングしたり
宴会したりでオフを満喫して帰ったそうですよ。

情報源に迷惑がかかる可能性がなのでソースは
明らかには出来ませんが、信憑性は高い情報です。

まぁ「ソースが明らかでないニュースは信じられない!!」
という方は無理に信じなくてもけっこうですが
ワリとご本人はマイペースで元気にやってるみたいなので
そんなに外野が心配しなくても大丈夫そうです。

え?一人だったかどうかって?

んなこたぁ、知らねぇよ夏!!

【いらねえよ愛なんて夏】

今日「愛なんていらねぇよ夏」が、ついに最終回を迎えました。

中盤から前回あたりまでの急展開で最終回をどんな風に
閉じるつもりなのか、けっこう期待して見てたんですけど・・・

・・・・・・なんつーか、フツーの終わり方でしたね。

レイジがタクロウさんの車に乗せられそうになったときは

「うっわー!!これでホントに終わったらエグイなぁ!!」

なんて思ったんですけど・・・・・・まぁ、あんなモンですかね?

【日本テレビ AM 4:00】

私は・・・・

患者と接する事のない医者でした・・・

ナイホスCM キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!

イヤ、初めて見ましたけど

メッチャいい感じじゃないですか!?

なんつっても絵がいいネ!!

『ウソコイ』なみに綺麗サー!!

これなら期待できるかもー!?


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